Afrode clinic|死から生を見つめる医師の挑戦

半蔵門線・表参道駅A2出口から徒歩5分の場所に誕生した「Afrode clinic(アフロード クリニック)」。
その扉を開けると、ギャラリーのような空間に目を奪われる。ここは本当にクリニックなのだろうか。施術メニューも多岐にわたり、 これまでの自由診療とは何かが違う。一体、Afrode clinicとは何なのか。若き脳神経外科医の胸奥に脈打つ想いを尋ねてみた。

Afrode|死から生を見つめる人生観

ー この度、道下先生が開院した「Afrode clinic(アフロード・クリニック)ですが、名前がユニークですよね。この”Afrode”というネーミングに込めた想いについて聞かせてください。

道下 Afrodeは「”A”live “fro”m “de”ath」を意味する造語で、「死から生を見つめる」という人生観を表現しています。当院の設立に向けて、これまで脳神経外科医として向き合ってきた生と死にまつわる問題意識を自分の言葉に落とし込む必要がありました。

医療技術が飛躍的に発展するなかで、従来では治療が難しいとされていた病気は確実に減りつつあります。生命の尊厳(SOL)を最重要視する医療現場からすれば、一人でも救えるいのちが増えるのは良いことに違いありません。けれども、それは同時に、本人が望まない闘病生活を送る可能性を示唆しています。いわゆる、人生の豊かさ(QOL)という個人の価値観から観たときに、生命を存続させる技術が充実してきたからこそ、「その選択が本当に患者さんのためになるのか?」という問いと向き合う必要が出てきたと思っています。すなわち、「本当の健康とは何なのか」、あるいは「わたしたちは長く生きることだけを望んでいるのか」など、医療技術が行き着くところまで行き着いたからこそ、人生のあり方について考える素地が整ってきたと感じています。そして、こうした問いを抱える人たちに対して、医療者側が責任を持って関わることが求められる時代になりつつあると思っています。

極端な言い方かもしれませんが、どれだけ医療が発展したとしても、死それ自体を消し去ることはできません。すなわち、だれもが最終的には「死」と向き合わざるを得ないわけです。しかし、核家族化やタブー化などの複雑な要因から、当たり前のように訪れるはずの死は日常生活から遠く感じられるようになりました。他人の死と直面したときに、「死んでしまった」とネガティブな言い方をすることにも現れていると思います。これは、自分を軸にした人生の豊かさを追求するうえで、大きな問題になるのではないでしょうか。

ー この度、道下先生が開院した「Afrode ー 特に、日本社会は宗教や哲学からは遠い人たちが多いですから、「死」と日常的に向き合う機会は他の国と比べても少ないですよね。とはいえ、それが「人生の豊かさ」とどのように関係しているのでしょうか?

道下 人生の豊かさは個人の価値観によって異なります。仕事に幸せを見出す人もいれば、家庭に安寧を求める人もいる。まさに、人それぞれです。ただ、いざ、当人が「死」を目の前にしたときに、他人が羨むような富・名声を築き上げてきたとしても、心の底から人生に納得できるとは限りません。むしろ、自分の価値観に迷いが生まれるという厳しい現実を目の当たりにしてきました。その際に、死が奪い去れない価値に軸を置くことの重要性を痛感したんです。もっと言えば、他人との比較で得られる承認や社会的ポジションを尺度にした肯定感は、自分の芯と向き合う時間が増える死期において、「結局のところ、自分の人生は何だったのか?」という虚無感に転じるおそれがあるのかもしれません。

ー たしかに、いくらお金があっても、地位や名誉に彩られていたとしても、目の前に差し迫る死に対しては無力のような気がします。とりわけ、「死んだら何も残らない」という人生観を生きる人たちからすれば、何もかもが儚く思えてしまう……。

道下 だからこそ、死から生を見つめたうえで、自らの人生に対して、自分自身が「イエス」と言える日々の生活を営むことが大切だと思っています。また、自分らしい生を謳歌した人たちは「残される側」の家族や友人の安心感にも寄与しています。実際に、ご遺族の方たちのなかには、「本人は自分の人生に納得して生きていたのだから、ここで泣くのではなくて、ありがとうと言って送り出したいと思います。自分の人生を意味付けしながら、1日1日を過ごしていたはずです。きっと、1年後も、2年後も、今と変わらずに自分らしい日々を生きていると思います」と悲しみのなかにも安堵を脈打たせながら、お話を聞かせてくださった人たちもいます。幸せを願っている相手だからこそ、後悔なき人生を過ごしてほしい。これは、だれもが胸に抱く自然な感情ですよね。その意味では、納得感のある人生を送ることは決して自分のためだけに留まりません。死は残された方たちのためにもありますからね。

 このような背景から、わたしはさまざまな角度から豊かな人生を育むための機会を創出し、本人が納得して死を迎えられるための取り組みを進めています。死をプロデュースすることに人生を懸けるつもりです。そのひとつが、このAfrode clinicです。

https://re-habilitation.jp

「医療×X」のシナジーが豊かな人生を創造する選択肢を育む

ー Afrode clinicの施術メニューを見ると、栄養箋、運動箋、メディテーション、カイロプラティックなど、医療分野を超えたさまざまなアプローチが採用されていますが、どのような意図があるのでしょうか? 

道下 先ほども述べたように、豊かな人生のあり方に答えはありません。また、自らを納得せしめる価値を最初から自覚している人たちは稀であると言ってよいでしょう。したがって、患者さんが主体的にウェルビーイングを追求するための基盤作りが求められます。そのベースにはいくつかの階層が存在しており、医療は一人ひとりの生命を保護する根底とも言うべき前提です。これは既存の医療機関と社会保険システムによって担われています。

 そのうえで、心身ともに健康な状態で生活できなければ、人生の豊かさを育むための気力が生まれません。そのため、当院では日々のなかで蓄積された心身の疲労を回復させるリカバリーの視点を取り入れています。具体的には、栄養士やインストラクターなど健康的な生活を営むうえで不可欠な役割を担う専門家と一緒に施術を考える仕組み作りを整えています。これはハーバード大学に留学したときに、一部の地域で予防医療の一環として、薬を処方するだけではなく、トレーニングジムのメニュー、レストランでの食事メニューなどを指示していたところからヒントを得ています。

ー 豊かな人生を歩む前提として、心身ともに健康な状態を実現する生活のサポートがあるわけですね。そのうえで、美容医療の施術が組まれているのは、なぜなのでしょうか?

道下 幸福のあり方に原理原則がない以上、本人自身が自分の正解を見つけるしかありません。だからこそ、患者さんの求めに応じて「すべてを活かす」というスタンスがなければ、一人ひとりの豊かさに即した機会の提供は実現できません。その意味では、美容医療も選択肢のひとつなわけです。なお、当院では、年齢の経過に伴う美の喪失感を切った張ったなどの不自然に外見を変える手法で解決するのではなく、身体に備わる機能を活発化させて、”自分らしい自分”を実現する美容技術を取り入れています

とはいえ、見た目だけが美しくても、心身が不調な状態のままでは、本人が笑顔で生活するのは難しいですよね。そのとき、食事箋や運動箋も合わせて処方できるとしたら、患者さんの選択肢は広がるはずです。この掛け算をひとつの場所でトータルコーディネートしたいと考えています。だからこそ、クリニックの機能は「医療×X」のシナジーで拡張させながら、他分野を巻き込んで豊かな人生を創造するための選択肢を見出し続ける必要があります。最早、病院というよりも「生活と健康のプラットフォーム」というイメージですね。

ー 医療分野を超えたアプローチには、道下先生の「一人ひとりの豊かさと向き合う」という本気の決意が込められているのですね。実際に、Afrode clinicに来院して驚いたのですが、病院に来たという感じが全くしませんでした(笑)アート作品がいくつも展示され、メディテーションルームまで設置されている。コンセプトが空間に落とし込まれていることを実感しました。

人生のためにすべてを活かす

ー Afrode clinicを開院するにあたって苦労したことがあったらお聞かせください。

道下 当院のコンセプトを言語化して人に伝えるのは大変でした。やはり、生命の存続と豊かさの追求は概念として並べると、ジレンマを生み出しやすいのかもしれません。例えば、食事ひとつにしても、本人はなんでもかんでも食べたいと思っていても、医師としては制限せざるを得ない。このようなシーンは日常茶飯事です。

 でも、だからこそ、「死から生を見つめた決断」が重視されると思っています。もちろん、患者さんが望むからといって医学的見地を無視した軽率な発言はすべきではありません。しかし、それがその日だけの思いつきではなく、「死」を介して本気で向き合った患者さんの声だったとしたら、どうでしょうか。少なくとも選択の余地が生まれるはずです。むしろ、今、この瞬間において、どちらを活かすことが最善なのか、ここと真剣に向き合うからこそ、本人に寄り添った総合的な医療サービスを提供できるのではないでしょうか。

 現代医療が専門分化することで飛躍的に発展したことはよいのですが、そのためにバラバラになった要素を再統合するアプローチを日々、模索し続けてきました。現時点の自分なりの答えとして、生命の存続と豊かさの追求を対立させるのではなく、それぞれを患者さんの人生を中心に「すべてを活かす」視点が大切だと思っています。

ー どちらかに偏るのではなく、患者さんのためにどちらも尊重する。けれども、瞬間的には、いずれかを選ぶ。本人の「死」を見つめた最善の答えだからこそ、それができるわけですね。
たしかに、言語化すると、どちらかの意味だけが一人歩きして、それぞれの立場で解釈されてしまうので、イメージを伝えるのは至難の技だと思います。ただ、Afrode clinicに足を運べば、道下先生の伝えたいことがひしひしと伝わってくるような気がします。

道下 そうですね。きっと、伝え方は決して言葉だけではないと思っています。関連して、当院のメンバーがコンセプトを体現するために、白衣をオーダーメイドしました。この裏地には、私が友人と一緒にデザインしている死装束の生地を縫い込んでいます。患者さんと一緒に死から生を見つめる以上、医療従事者もまた自らの死と向き合いながら、人生の豊かさを追求するスタンスを貫く必要があると思っています。

(白衣の紹介:裏地付き)

ー 最後に、Afrode clinicにはどのような方たちに来てもらいたいですか?

道下 みなさんに来ていただきたいですね(笑)ただ、敢えて言うならば、何か新しい変化や楽しみを発見したりすることを望んでいる方、少しでも胸のなかにマイナスのものを抱えている方には、当院の扉を開いてみてほしいです。アート作品を鑑賞しにくるだけでもいいですし、カウンセリングを受けにくるだけでもよいです。Afrode clinicは生活に根ざした医療機関として、医療を介して医療の枠組みを超えたみなさんの日常に開かれたプラットフォームを目指しています。是非、お気軽にお立ち寄りください。